立憲民主党 衆議院議員(西東京・小平・国分寺)【東京19区】。初代復興副大臣、内閣府副大臣(防災・子育て・少子高齢化・財務金融・消費者問題・沖縄北方等担当)

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▼ 末松義規ってどんな人?


出生〜青年時代


小学校1年生入学式
末松義規(すえまつ よしのり)
 
1956年12月5日。

代々の菩提寺は、福岡県築上郡太平村。サラリーマンだった父・弓人と母・和子の第二子の長男として福岡県北九州市八幡西区引野で生まれる。

地元の引野小学校→引野中学校→東筑高校と進学。
(東筑高校の大先輩に、故・高倉健さんがいます)

掲載写真は、幼い頃(横は姉)と小学1年生の入学式のもの。

小学校時代は卓球に熱中、中学時代は柔道部、高校時代はラグビー部と、様々なスポーツに取り組む。



1976年一橋大学に入学し、少林寺拳法部に入部(黒帯)。ゼミは皆川ゼミ(国際法)

掲載写真は、大学時代の自転車東北一周旅行から帰ってきた直後のもの。

4年生の時に外務公務員上級試験に合格、翌年外務省に入省。

大学時代は、中国語を学んだが、入省直前に、「砂漠でも生きていけそうな男」との評価?でアラビア語習得を命ぜられる。(予想外で一瞬ショック、めまいを覚えた!笑)



外交官時代


80年の外務省入省直後、イラン・イラク戦争が勃発。
(まさに担当課に配属され、連日徹夜続きとなった)

その後、語学研修地のシリア・エジプトでアラビア語習得後、米国のプリンストン大学院で中東の政治・経済・文化を学ぶ。(修士号取得)




その後、二等書記官としてイラクのバグダッドにある日本大使館に赴任。

そのバグダッドでの2年間の任期中、イランからスカッドBという巨大なミサイルの攻撃を幾度となく受け、衝撃的かつ悲惨な戦争現場を直接体験した!
(掲載写真は、爆発イメージとスカッドBミサイル)

その結果、従来は憲法第9条改正派だったが、その衝撃的な戦争現場体験を経て、「良い戦争も悪い戦争もない!あるのは残酷な戦争現場と無残な死体だけ!」と悟り、憲法第9条護持派となった!

また一方では、深夜に自宅の近辺で、100頭ぐらいの野犬に囲まれて食い殺されそうになったり、在宅中に数人の武装強盗に入られそうになったり、危うく死にかけるような強烈体験を何度か重ねた。



その後帰国し、中東の専門家として、通産省に出向し国際石油情勢や日本の石油輸入を担当。

再び外務省に戻り、核不拡散や原子力協定等を担当する課に首席事務官(課長代理)として勤務。


1990年、外務省の中近東アフリカ局中近東第2課に転属となった直後に、「湾岸戦争」という世界的な大事件、日本外交にとって未曾有の危機が勃発。(掲載写真)

イラク等の湾岸産油国の直接担当課として対応に忙殺される。(月間の超過勤務時間が300時間になったこともあり)

同時に、湾岸戦争への外交対応において、「法律なし、予算なし、人なし」という三重苦の中で、当時の外務省幹部や政治家が不決断症候群や外交不全に陥っていたことに大きな危機感と問題意識を持った。


政治家を志す

この外交危機意識をもったことが転機となり、ODA担当課勤務中の1994年、自ら進んで外務省を退職。

国政を目指して浪人生活へ。資金不足に苦しみながらも政治活動を手探りで開始。 



政党は、(自民党を飛び出して)改革勢力となっていた「新党さきがけ」に入党。
(同党メンバーの大半は、その後、民主党に移行)

1996年10月、東京19区(小選挙区)より「民主党」候補として、衆議院議員選挙初当選。
(掲載写真: 総選挙で熱く訴える!& 国会初登院)



以後民主党が政権与党であった2012年まで5期連続(16年間)で衆議院議員として活動。

その間、野党時代は、民主党の次の内閣「環境大臣」や衆議院の各委員長を務めた。

また、民主党政権が誕生してからは、消費者問題特別委員長や内閣府副大臣・初代復興副大臣・総理補佐官等を務めた。(掲載写真は、官邸での就任写真)

特に、東日本大震災が起こった直後から、自ら志願して現地の緊急対策本部長・復興対策本部長を務め、数ヶ月間現地に留まって復旧・復興事業に心血を注いだ。

その後東京に戻って総理官邸に入り、東日本大震災復興全般を担当する総理補佐官に就任。

さらに引き続き初代復興副大臣となって、復興事業全般の推進役となった。

(掲載写真は、避難所において、現地緊急対策本部長として被災民の方々の現状をうかがっているところ)

また、TVタックル等のTV・ラジオにも出演して世論をリードしてきた。(掲載写真)



TVタックル等のマスメディアに多数出演
TVタックル等多数のテレビ等に出演して世論をリード


落選を経て

2012年12月と2014年12月の衆議院総選挙に落選(いずれも次点)。

捲土重来を期し、地元(西東京市・小平市・国分寺市・国立市)の皆様と国民全体の生活レベル向上を目指して政治活動する日々。

また、一橋大学法学部や早稲田大学国際教養学部の外部講師、武蔵野大学の客員教授として、若い世代の育成にも携わった。


2017年10月、衆議院総選挙に立憲民主党公認で立候補し当選(比例区)。
5年ぶりの国政復帰を果たす。





危うく死にかけた中東勤務時代の生々しい外交官体験。

民主党政権時代の3・11大震災の現地緊急対策本部長や復興副大臣の強烈な体験。

さらには、5年近くの浪人中の様々な厳しい体験。

これらが私に貴重な学びを与え、「政治は人助け!」という根本的な政治信念を育ててくれました。

ありがたいことです!!

『国民の暮らしの痛みや苦しみを深く理解できる政治家』・「常に世界を見据えて行動を起こす政治家」として、末松義規は闘い続けます!





著書

「ボクが外交官を棄てた理由」 1994年 KKベストセラーズ

「大和・再光」 2003年 PHPエディターズ・グループ

「いま、日本にある危機と希望」 2012年 ワニ・プラス

共著 「政治のしくみ」 1994年 アスカ

共著 「生物多様性基本法」 2009年 ぎょうせい




好きな言葉

「政治は人助け」

「無私と感謝」


趣味&好きな食べ物


趣味
 
旅行、神社巡り、少林寺拳法、アラビア語(通訳経験あり)、スピリチュアル系の読書

好きな食べ物

カレーライス、お好み焼き、たこ焼き、クーサ・メへシ(アラブ料理)



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