今日は、東日本大震災から12年目となりました。
改めて被災者の皆様にお見舞い申し上げます。
当時私は、子ども子育て新システム(子ども園)の設置に向けて、内閣府副大臣をして会議を重ねていましたが、3·11が起こるとすぐに、宮城県現地緊急対策本部長となって宮城県庁に赴きました。
つぶさに被災現場を訪れながら、中央省庁や宮城県・被災現場の市町村の方々と連携しながら、緊急救済支援・復旧・復興事業に全力を尽くしました。
今では、かなり復興が進んでいて喜ばしいことですが、まだまだの点も見受けられます。
その後、野田内閣の3·11担当総理補佐官、初代復興副大臣・災害対策委員長となって、一貫して大震災の緊急被害対策・復旧・復興事業に関わって参りました。
今でも厳しかった時期として思い出されます。
さて話は変わって、昨日は千葉県の衆議院補欠選挙(第五区)の立憲民主党の予定候補者である矢崎けんたろうさんの応援に浦安市に伺いました。
そこで矢崎さんから懐かしい記事を手渡されました。
初代復興副大臣として、大震災の液状化等で苦しんでおられた浦安市・香取市・旭市を視察し、復旧・復興のために大規模な緊急支援を行うキッカケとなった記事です。(写真)
今では、当時の厳しい面影は全くなく、素晴らしい都市開発がなされています。