立憲民主党 衆議院議員(西東京・小平・国分寺)【東京19区】。初代復興副大臣、内閣府副大臣(防災・子育て・少子高齢化・財務金融・消費者問題・沖縄北方等担当)

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▼ 野党時代 (1996〜2008年)


「古い政治との闘い!」〜自民党の古い政治に危機感を抱いて、市民が主役の政治を志す!〜

1. 外交・防衛分野では、「押しの強い気迫外交!」を志向

日本のミサイル防衛について、形式張った答弁しかしなかった当時の内閣法制局長官と、ミサイル防衛の実態を踏まえ正面切って議論してきました!
(この議論は、当時、繰り返しTVや月刊誌等のマスメディアに取り上げられ注目の的となりました)

一方、米国の正当性なき対イラク戦争(2003年〜)を批判すると同時に、憲法第9条を貫くため、民主党において、イラクへの自衛隊派遣反対を主導しました!

具体的には、民主党を代表して私が「イラク調査団長」として戦時下のかつてのイラクに赴きました。その調査を踏まえ、自衛隊派遣反対を強力に主張しました。
その結果、(自衛隊派遣への賛否が混在していた)民主党は「自衛隊派遣反対!」を最終決断することになりました。

国会では、当時の小泉総理と直接対決し、イラク戦争支持の愚かさを徹底追及しました。
(写真は、イラク調査団の際、イラク大統領府で、故・奥大使と。奥大使はこの6ヶ月後に殉死されました)



当時、防衛庁内では、私の厳しい国会質問に対応するため「末松対策チーム」が組織されたそうです。

この後、結局米国のブッシュ大統領は、国連等で偽りの主張(「イラクは大量破壊兵器を持ち危険だ」)をしながら、イラクを大規模攻撃し始めました。

(2015年になり、ヒラリークリントン氏のメール事件を契機に、イラク攻撃の1年前の2002年に、ブッシュ大統領とブレア英国首相の間で、「虚偽理由をあげて対イラク攻撃をする」との陰謀計画が立案されたことが暴露され、世界中で非難の的となりました)

ただ、いくら真実が後で明らかにされても、イラク戦争で犠牲となった12万人のイラク人や米国を中心とする多国籍軍人の命はもどらないのです!


2. 地元主義の成果!

地元主義の成果の一例
・地元の皆さんと一緒に連携しながら(私は国会担当)、東大農場保全に成功!
・国分寺市の借金借り換えに成功!
・新小平駅のエスカレーター設置に努力(実現)!
・地元中小零細企業が直面していた金融難題に助力。
・地元の皆さんからの日々のご要望や陳情ごとには誠意を持って対応。


掲載写真にあるように、地元の皆さんからのご要望は、朝の駅頭演説、自転車廻りや地元集会、更には、事務所への連絡等で頂いたものがほとんどです。

私自身、様々なご要望を受け、そのご要望者のお気持ちに可能な限り添いながら、解決に向け最善の努力をしてきました!

結果的に成功したことも、残念ながら成功しなかったこともあります。
その過程で、様々なことに挑戦して、地元への貢献力を培ってこれたと思っています。

特に東大農場(右端の写真)が民間に売却されそうになったときは、(数万人の署名集めやマスコミ等各方面への強力な働きかけに代表される)市民の皆様の情熱的なご努力と連携しながらの活動でした。

私は、市民有志の情熱をひしひしと感じていました。
2004年4月の「東大農場のみどりを残す市民の会」発足式に参加して、私自身の挨拶の中で「地元の衆議院議員として、この問題に貢献できないなら、地元の衆議院議員の価値がない!」とハッキリと宣言しました!

まず東大を所管していた文科省に関わる衆議院の文部科学委員会に入りました。
西東京市民の生活における東大農場の貴重な存在意義や住民運動の高まりを訴え続け、マスコミにも強力に働きかけました。

さらに、東大農場を民間に売却するという東大側の方針の問題点を突いて、東大に再考を強く迫りました。

これらの西東京市民有志の皆さんのご努力と情熱が実って、東大は、民間売却方針を撤回して、東大農場は見事に保全されました。感激の一瞬でした!


3. 女性・家族・市民活動を強力にサポート

ピルの解禁(1999年に実現)や女性のための年金分割制度(女性の生活自立支援)、さらには、遺伝子組み換え食品表示の徹底等、女性・家族・市民生活の立場に立った政策を追求してきました。


女性が、社会のきつい縛りによる過度の負担を背負い込まずに、人生を楽しむことが出来る社会づくりがとても重要です。…今では当時よりも相当進みましたが、当時まだまだ課題山積みでした。

家族や生活の充実・安全なども、誰かがやらなければ前に進みません。
その一歩前進を訴え続けたことが、今日の進展の基礎の一部になったと確信しています。


4. 中小零細企業の救済に助力


大蔵委員や経済産業委員として、当時、資金難等で苦境に陥っていた中小零細企業の救済や陳情実現にこまめに尽力してきました。
実際に、貸し渋りや貸し剥がし等の悪質な手法で、中小零細企業をいじめてきた銀行に対する戦略的なつきあい方などを、専門の講師をお呼びして実践的にお伝えしました。


日本の企業の大多数が中小零細企業であり、経済の本当の活性化は中小企業の活性化であると言い切ってもいいでしょう。

大企業・輸出企業寄りの政策が多い中で、中小零細企業の支援策を、バラマキではなくしっかりと成長につなげられる支援を中心に据えるのが大切だと考えます。

中小企業が活力を得られる政策が、これからの日本にますます必要になってきます。


5.TVタックル等多数のTV出演で世論をリード


外務省で培ってきた対中東政治観や外交感覚等を活かしたり、直面する幅広い政治課題に対して率直な見解を披露してきたことから、マスメディアに注目されTV等に数十回ほど生出演し、オピニオン・リーダーとしての役割を果たしてきました。


中東の国は政治形態も違う国が多くて、一般の方々にはよく分からないことだらけだったりします。
国会議員の中でも、欧米や東アジアとのパイプを持つ議員が多い中で、中東の専門家として活動出来たのは、とてもうれしいですね!

また、その他の様々な政治課題に対しても、日本のあるべき姿を念頭に置きながら、TV等で、臆することなく率直なコメントを述べてきました。


6.主に取り組んできた「政策4本柱」

・外務省での中東外交経験を活かし、国際平和実現・日本の外交力強化への真剣な取り組み
(掲載写真の人物は、パレスチナのガザ地区でお会いしたカナファーニーPLO政治委員長)

・元外務官僚だった経験を活かして、官僚政治と戦う。
(天下りなどの官僚利権や無駄遣いの根絶へ)

・民主党の「次の内閣:環境大臣」として日本の環境政策をリードすると同時に、遅れていた公害被害者の救済に尽力。(特に、掲載写真の水俣病救済の最終和解法案を与党と協力して実現!)

・外務省での「湾岸危機」の経験を活かして、日本の危機管理をリード







▼ 民主党政権時代 (2009〜2012年)

政権を担う一員として。
(内閣府副大臣・総理補佐官・初代復興副大臣)


1. 東日本大震災の緊急支援・復興支援をリード


(写真は、東日本大震災の現地対策本部長として、定例の記者会見をしているところ)

3・11の東日本大震災において、現地緊急対策本部長・復興対策本部長(宮城県担当)、総理補佐官(大震災全域担当)、初代復興副大臣を務め、緊急時対応・復興対応をリードしてきました。

元々内閣府副大臣としては、担当外だったのですが、近い将来来るかもしれない東京直下型大震災に備えるべく、自ら志願して、現地緊急対策本部長となりました!

はっきり言って、大震災等の緊急事態においては、「緊急事態対応に普段から慣れている匠(たくみ)しか使い物にならない!」と言えます。

湾岸戦争の緊急事態等を経験してきた私にとっては、大震災の緊急対策・復興対策、更には、放射能汚染対策等で、かなりの研鑽を積ませていただきました。

これからの天変地異による緊急事態対応でお役に立てるように、今後とも匠を目指して、さらに研究していきたいと思っています。

掲載写真は、政府・自治体の現地緊急対策本部会議(左)や、全国の救済ボランティアを集めたネットワーク会議(右)私が主催している写真です。



未曾有の大災害に翻弄される日本をどのように早急に立ち直らせるのか?
復興をどれだけスムーズに行うのか?

この期間に個人的に体験した国家や地方の危機管理の現状がヒントになって、将来の日本の危機管理に向けて、危機管理庁創設の提唱をはじめたのです。

また、過去の総選挙の際、党派を超えて私に対して暖かい応援のメッセージを送ってくれた被災地の同志にとても感謝しています!


2. 子ども子育ての新システムの基盤を創設

1年間で、幼稚園・保育園を一体化する「子ども・子育て新システム」の基本的な枠組みを取りまとめました。

実際には、担当副大臣として、「子ども子育て新システム基本制度ワーキングチーム」の座長を務め、各分野を代表するメンバーの方々と意見交換を続けてきました。

合計50回以上にわたる会議をこなして、幼稚園・保育園を一体的に運用していく新しい仕組みの基本が誕生したのです。

掲載写真は、「子ども子育て新システム・ワーキンググループ会合」開催の一コマ


そもそも、幼稚園は文部科学省の管轄、保育園は厚生労働省の管轄であるため、似ているようで、全く違う立場をとってきました。

そのため、最初の会議では、幼稚園と保育園の代表者が歴史的に初めて同じ会合の席につきお互い強烈に反目し合っていました。

しかし、後半の会議では、和気あいあいの会議となったのです!
実に印象深い思い出です。

まさに政治家冥利につきる瞬間でした。


3. 家庭内暴力(DV)の女性被害救済支援 ◆ シングルマザー応援

男女平等の担当副大臣として、家庭内暴力(DV)の女性被害に特に注目。
同様に、シングルマザーの応援です。

被害実態を詳細に把握するために、補正予算で10億円増額して実態解明に乗り出しました。

通常は、男女平等参画プログラム全体で、年間3億円程度しかありませんでしたので、これにより大きく実態が解明されて、救済支援の基礎になったのです。



4. 地元の皆様のお困りごとを解決

かねてより多摩地域の駅で、国立市の谷保駅だけがエレベーターがついていないことが大きな懸案でした。

そこで、初代復興副大臣のときに、JRと深いご縁を頂いたので、JR側にエレベーター設置への協力を強力に働きかけました。

従来暗礁に乗り上げていた交渉の場に、JRと国立市両者を一気に引っ張り出したのです。
そこでの交渉が実って谷保駅に、地元の住民の方々の念願であったエレベーターが設置されたのです。

このように、多忙な公務の間にも、地元住民の皆様からのご要望に誠実に応えてきました。

ようやくエレベーターがついた国立市の谷保駅
ようやく念願のエレベーターが設置された国立市の谷保駅


5. 政治家を脇役にした新方式で、障がい者自立支援法を改正

障がい者自立支援法改正の担当副大臣として、新しい方式で、障がい者自立支援法改正を実現しました。

その新方式とは、まず障がい者の方々が中心となって改正議論をしてもらい、そして、その結果を踏まえて、大きな壁となっていた関係省庁の従来のやり方を変えさせていく画期的な方式です。

ですから、私を含め民主党の内閣府の担当大臣・副大臣・政務官が何をやったかというと、障がい者の方々がまとめた法律案を持って、仲間である民主党の関係省庁の大臣・副大臣・政務官を粘り強く説得にあたったのです!

担当の政治家が脇役に徹したのです。
そのことにより、障がい者の方々の切実な思いが、より反映された形で改正されました。

もちろん、予算の限界もありますが、今後更なる進展を期待しています。



6. 自殺者対策をリードして実績をあげた!

自殺対策担当の副大臣として厚労省・警察・NPO等と緊密に協力しながら、自殺対策をリードしました。

小泉自民党内閣時代から跳ね上がってずっと年間3万人以上だった自殺者数を、初めて悲願の3万人以下に減らし、さらなる自殺者減少傾向の基盤をつくり出しました!

ちなみに、2015年の自殺者数は、2万3971人と減り(18年ぶりに2万5千人を割った)、4年連続3万人を切って減少傾向が続いています。

日経新聞より抜粋


7. 日本の領土・領海・排他的経済水域の拡大を世界に認めさせた!

・執拗だった中国・韓国からの妨害をはねのけ、関係者と戦略を練りながら力を合わせ、日本の海洋権益の31万平方km拡大を世界(国際海洋法会議)に認めさせました。

・メドベージェフ・ロシア大統領の北方領土視察に対して即座に根室を訪問して強硬に抗議すると同時に、日本の北方領土対策関連予算を10億円から20億円に倍増させて対応強化しました。


この31万平方kmの海洋権益を取れるか取れないかは、日本の最重要課題の一つと判断しました。

もし、この問題で民主党政権がしくじると、日本国民から末代まで非難されるからです!

従って、どうしても日本の主張の正当性を国際社会に認めてもらわねばならなかったのです!

そこで、こと細かにベストな手順と具体的な方策、優秀な事務方と検討し、実行してきました。

途中、中国等の強力な働きかけで、ハラハラ・ドキドキの場面が何回かありましたが、最終結果は、日本の主張が完全に通りました!!

日本の国家や将来国民に対し、重大な役割が果たせて「正直、ホッとした!」のを鮮明に覚えています。


8. OECD50周年の外交舞台に登場

2011年5月、パリで開催されたOECDの50周年記念フォーラムと閣僚理事会に出席。

午前と午後の2つのフォーラムにおいて、3〜4名のOECD代表パネラーの一人として私が選ばれ、数百人の前で発表・議論しました。

午前中のフォーラム(左)は、「人間の幸福度指標をどうやって測るか?」というテーマでの議論。

私は、前に座ったパネラーとして、3・11大震災という深刻な事態下での人々の意識の変化を取り上げ、どのように幸福感が違ってきたかという点に力点をおいて説明しました。


午後のフォーラム(右)は、「女性の社会進出をどう支えていくか」という議論でした。
私は、同じくパネラーとして、日本における女性の社会進出の阻害要因を簡潔に述べました。

私の横のパネラーは、ブレアー英国首相の奥様のシェリー・ブレアーさんでした。
シェリーさんは、今後の世界は、女性が支配する社会にだんだんなってくると断定していました。 

そばで直に聞いていると信念の迫力を感じました。


副大臣の私が、OECD記念フォーラムを代表するパネラーとして、二つのフォーラムからお誘いがかかったことは、とても異例なことだと言われました。(お誘いがかかるのは、通常は1つのフォーラムのみ)

あとでOECD事務局の方から、「ミスター・スエマツのように、みんなの前で臆せずガンガン喋って会場を盛り上げてくれる人だと招待のしがいがある」と言われました。

こういう舞台での活躍の機会を頂けたのは、本当にうれしく思います。


9. 著書(4冊目)の発表

2012年11月、内閣府と総理官邸にいた体験を踏まえて、「どのようにすれば日本再興ができるのか?」の視点に立って、その秘策を書いたのが『いま、日本にある危機と希望』です。

日本株式会社と言われ「オール日本総合体制」がバラバラに解体されてきた危機の実態を明かすと同時に、国際投資家や国際金融マフィアと言われる連中が虎視眈々と日本経済の乗っ取りを狙っているとの警告を発しています。

これらの国難に対して、「日本人に元々備わった素晴らしい伝統的創造力で危機を乗り切きろう!」と提唱しています。

人によっては、「そんなの絵空事じゃないの?」なんて言われるかも知れません。
しかし残念ながら日本国民には、そのような危険・極秘情報が伝わらない仕組みになっています。

本当に油断してはいけない時代なのです!

外交を担っていた経験、内閣府や総理官邸にいた経験、全てを総動員して書き上げましたので、ぜひご一読ください!





▼ 浪人時代 (2013〜2017)

1.憲法違反の安保法制を廃止する決意と実行

外務省時代、私は憲法第9条改正派でした。

強い外交をしようと思えば、軍事力とタイアップした外交の方がよりパワフルになるからです。

しかし、この考え方は180度大転換しました。

そう、イラクに赴任した時に遭遇したイラク・イラン戦争の悲惨な戦争現場体験がきっかけです。

「ある深夜、自宅のすぐ横に、イランからスカッドBという巨大なミサイルが飛んできて炸裂!

凄まじい爆音、激震と爆風。家から出てみると、そこらじゅうが火の海と猛煙、そして悲鳴!

さらに、血の海、バラバラになった頭蓋骨や体の一部! 衝撃で体が凍りつきました」

自分の目の前で起こった戦争現場の悲惨さ、人と人が殺し合う残酷さ、ゲリラの襲撃やいつ始まるか分からない銃撃戦、超大国の思惑やイデオロギー対立をイランとイラクという別の国が代理で戦い殺し合う悲劇…


戦争という「巨大な怪物」に近づくべきではない

と、悟ったのです。

その瞬間から、憲法第9条改正派だった私が、9条護持派に変わったのです!

…そして現在、今まさに日本国民がまたその悲惨な戦争に巻き込まれようとしています。

ほんの一世紀にも満たない昔に、私たち日本人は当事者として体験したはずなのに、その時の教訓から「二度と戦争はしない!」と未来に誓ったはずなのに。

なぜまた国民に戦争を強いるのか?

安倍政権が強行採決した安保法制は、放おっておくといずれ日本を戦争に巻き込み、国民生活を徹底破壊していく引き金となります。

私は、安倍政権の安保法案に対して法案廃止のデモ、廃止署名、廃止を訴える街頭演説、廃止のためのセミナー等を中心に、徹底的に反対する行動を取ってきました。

そして、9.19で安保法制となってからは、「この安保法制を日本から取り除くために渾身の力を振り絞っていこうと決意し行動していきます!」

さらに、いつの日か、「憲法第9条にノーベル平和賞をとらせたい!」との思いを定めています!


地元(西東京市・小平市・国分寺市・国立市)や国会前で、安倍政権の安保法制廃止を訴えています!(現在も継続中。写真は、国立駅頭での反対演説)

 地元等で、安保法制廃止を訴えるシンポジウムや集会、憲法第9条の研究会等にも、市民の皆さんといっしょに参加しています。(写真は、柳澤協二元防衛省官房長をお招きして反対集会を主催したときのもの。会場のあふれる熱気!)

掲載写真左は、安保法制廃止を求めて市民の方々いっしょにと国会デモに参加したときのもの。

写真右は、地元の国分寺駅で、(憲法)9条の会が主催で毎月9日に行なっている「安保法制廃止を求める野党議員団の演説会」に参加しているときの一コマ。(私はほぼ毎月参加)


2.福島原発4号機の危機問題に即座に対応!


地上30mに位置していた福島原発4号機の核燃料プールには、1535本の使用済み核燃料棒があり、震災直後から危険な状態に陥っていた。一刻も早いこの燃料棒抜き取りを、知り合いの広瀬東電社長に2013年8月直接会って強く要請。

広瀬社長も事の重要性を十分認識されておられ、早期に核燃料棒抜き取りに着手され、2014年には抜き取りが完了して、事無きを得ました。

奇跡的に崩壊を免れたのであまり認知されていませんが、ひとたび崩壊すれば、原子炉の事故よりも致命的なことになっていたやも知れません。

使用済み核燃料の落下とともに、むき出しの形で核分裂反応が起こり臨界に達して核爆発。

それこそ日本全土ではなく、激しい放射能汚染のため地球規模で人の住めない地域が北半球全土に及んだかもしれません。

現在も、1〜3号機の核燃料プールには相当量の核燃料があります。
すべてを一刻も早く抜き取りをすることが今、求められています。



3.安倍政権による年金積立金の巨額株式運用(60兆円)は危ない!


昨年(2015年)の7~9月のたった3ヶ月間の株価急落で、かけがえのない年金積立金の株式運用(約60兆円)で、約8兆円も大損した計算。

株好きの米国でさえ、年金積立金のギャンブル化(株式運用)は一切していません!

今年1〜2月の株価急落でも、年金積立金が10兆円前後が吹き飛んだと言われています。

さらに、今年、株価暴落となれば、年金危機が起こることになります!

私は、従来からずっと、「年金積立金の巨額株式運用から早く足抜けすべきだ!」と強調してきました!


4. (安倍政権の放漫財政が引き起こす)国家経済破綻から国民生活を守る

1000兆円を超える国家・地方借金や、日銀の300兆円に迫るとも言われる借金政策(別名:異次元金融緩和)は、まさしく安倍政権の放漫金融そのものです。

このままでは、日本には近々株式市場大暴落や国家経済破綻等が起こるのは必至です。

現在の経済悪化状況を深刻視し、国民生活を守るための講演会や活動を日々行っています。

特に、2014年4月と2015年9月には、大胆で的確な経済予測で定評のある浅井隆氏をお呼びして、国政報告会を開催。

浅井隆氏からは、ここ数年で起きるであろう経済激震や経済破綻を当然の前提とした上で、いかに家庭や個人の財産を守っていくかについて、有益で具体的アドバイスがなされました。

経済ジャーナリストの浅井隆先生を招いてのセミナー
経済ジャーナリストの浅井隆先生を招いての経済危機管理セミナー(2回)


5.介護報酬引き下げによる、介護崩壊可能性の調査

「介護報酬引き下げや介護要支援サービス全廃」をめぐり、地元の複数の介護事業者をまわって実情を調査しました。

地元の介護事業者等からは、「このままでは、本当に介護事業が続けられなくなって介護崩壊を招いてしまう」と深刻な訴えを耳にしました。

同様に、複数の身障者施設もまわりましたが、現政権になって、施設運営が格段に厳しくなったと嘆きの声ばかりでした。

社会のしわ寄せのツケを弱い立場の高齢者や身障者にまわしていくべきではありません!

政治こそ救済機能を発揮していかねばならないのです!

政治があべこべになっていませんか?

(写真は、最近訪問した小規模多機能施設)




6.相続で争いを避けるために「相続税セミナー」を複数回開催


2014年には、掲載写真のように、「改正相続税・消費増税を賢く乗り切る税セミナー」を複数回開催しました。

講師に税理士さん等をお迎えし、2015年1月からの改正相続税への準備や賢い対策等のアドバイスをお話いただきました。

とにかく高齢社会を迎えて、「相続」が「争族」になるケースが激増しています。

生前から遺言等をつくり、争いの芽を摘んでおくことが人生の達人だと教わりました。


7.. 日本経済の体質強化・活性化政策を発表



アベノミクス云々と言っていますが、欧米を中心とするOECD統計で国際比較すると、生活の豊かさを示す経済実績である「1人当たりGDP」は、民主党政権時代の野田政権の2012年は約4万7000ドルで、欧米を中心とするOECD諸国中13位。

現在の自民党安倍政権では2014年3万6000ドルで、OECD諸国中過去最低の20位に転落しました!

GDP(国内総生産)全体も、OECDの統計では、野田政権(2012年約6兆ドル)⇒安倍政権(2014年約4.6兆ドル)と20%以上減らしています。

さらに、経済成長率を示すGDP成長率で見ても、野田政権の2012年の成長率はプラス1,74%、対する安倍政権の2014年の成長率はマイナス0,10%。

安倍政権の宣伝とは裏腹に、日本の経済実績が悪化しており、皆さんの生活実感が苦しくなっているのは当然です。

従って、私が提唱する経済政策として、安倍政権の放漫金融による効果の出ない経済対策ではなく、以下の実効ある政策を発表しました。

1.高齢者世代(日本の資産の80%以上、1300兆円程度!持っていると言われる)から若者世代(特に子育て世代)へ大胆に資金を移動させるため、1年間限定の贈与税無税政策

※仮に、今1000万円を贈与すると300万円程度を贈与税として支払わねばないません。
 期間限定で贈与税を無税にすると、一気に若者世代に数百兆円程度資金が移動します。


2.「若者・女性・シニアも自らの創造性を活かして上場企業の社長になれる!」という夢が持てる起業サポート仕組みづくり(もちろん、何度でも再挑戦ができる仕組み)

※「起業しようかしら」と考えている元気な方々を対象に、「起業サポート・チーム」で支援!


3.人の善意が恨みにならないように、連帯保証人制度を廃止すること等

を内容とする「日本経済の体質強化・活性化政策」を2014年12月に発表しました。


8. 首都直下型大震災への準備の促進


「いつか起こる」では、首都直下型大震災への準備なんて進みません。(写真は阪神大震災)

そこで、大震災が起こる具体的な想定日時を末松事務所で2015年4月12日と設定して、実際に食料・水・必需品等の準備を行うと同時に、大震災へ備えるよう都民の皆さんに促しました。

奇しくも、同じ2015年4月頃より、箱根・阿蘇・桜島等の火山性地震活発化や口永良部島の噴火、ネパールの大震災、南米での連続的な火山噴火等が立て続けに起こりました。

幸い大震災が起きずに良かったのですが、そのおそれは常にあります。

※「想定手法」は、この日に地震が起こるという予言ではなく、「この日に起こる」という想定をすることで、実際の準備行動に気持ちが入るためのやり方です。

※私自身、折に触れ、復興の進展を自らの眼で確認するために、3.11の被災地を定期的に訪問しています。


9.連合三多摩の皆さんとの活動



(写真は、多摩川での連合三多摩メーデー)

私自身昔ずっとサラリーマンでしたので、満員電車等の不快さや苦しさはよく理解できます。

毎日懸命にお仕事されているサラリーマンの皆さんの生活が、今よりもっと良くなって欲しいと心底思います。

よって、サラリーマンの支援部隊である「連合」の皆さんとも連帯して活動しています。

特に、地域の連合三多摩の活動の一環として、3・11の被災地訪問、駅頭での労働問題・労働相談に関する街頭宣伝活動、地域での清掃活動等に参加しています。

(下の画像は、国立市における連合三多摩の地域清掃活動に参加したもの)



10. ミャンマーの民主化に10年間一貫して貢献

議員時代、超党派の「ミャンマーの民主化を支援する国会議員連盟」の会長を長らく務めていましたが、浪人中も日本在住のミャンマー人の仲間達といっしょに地道な活動を続けています。

これらの10年に及ぶミャンマーの民主化支援の国際的な努力が実って、2015年11月のミャンマー総選挙で、スーチー女史率いるNLD党(国内民主化同盟)の大勝利につながったものと思っています。

【掲載写真(ミャンマー人の仲間たち)の中央にいるスーツ姿の男が私です】


11. 日々の政治活動



地元の皆様のお気持ちやご意見、さらにご要望等をお聴きして、私たちの目指すべき政策づくりに反映させるためにも、日々の政治活動は極めて重要なものです。


12.一橋大学法学部や早稲田大学国際教養学部等で学生に講義


早稲田大学の国際教養学部では、政治・外交・経済等のテーマについて英語で講義してきました。(写真左)
また、母校の一橋大学では、TPPや国際交渉術、更には国際経済学等について講師として講義してきました。(写真右)
NPOの東京雑学大学でも講義を行っています。




▼ 世界的著名人との交流

大国の政治家や著名人との交流を持つことは、バランス感覚のある外交を行う上でとても重要。

各地域・国の専門的知識や情報を基に多角的な分析を行ったり、外交を円滑に行ったりするには、様々なパイプを持つ必要があります。

元国家元首級の人脈や、政治に大きな影響を及ぼす人物との接点があるのは国政、特に外交分野で最大限発揮されます。

チベットのダライラマ氏
(チベットの第14代ダライラマ)
米国のクリントン氏
(元米国大統領)
米国のゴア氏
(元米国副大統領)
プーチン・ロシア大統領

胡錦涛前中国主席



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